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日々の話

生成AIを、私たちは監視し監督し続けなければならない

「AIに任せれば全部やってくれる」以降、読まれない報告書や中身のない文書が行き交い始めた。人のための仕事なら、AIの生成物も人にとって有効でなければならない。

이 글의 목적

AIに仕事を任せて成果物を運ぶだけになったときに生まれる不協和音を指摘し、なぜ人が観察と監督を続けるべきかを整理する。

핵심 내용

AIの生成物は、AIが理解しやすい方向へ向かいがちだ。仕事は人のために存在するのだから、それが人にとって有効かを見極める監督は、最後まで人が担うべきだ。

읽고 나서

AIが作ったものを渡す前に、受け取る人が実際に読んで使える形になっているか、自分で読んで確かめる。

目次

「生成AI」という言葉を聞くようになってから、ずいぶん時間が経った。今ではもう、少し古い表現と言えるかもしれない。

私が身を置いている業界の現場でも、AIはすっかり当たり前の道具になった。

「AIに任せれば全部やってくれる」

どう使えばいいのか迷う人は、もうあまりいない。迷ったり心配したりしている人がいれば、誰かが進み出てこう助言する。

「AIに任せれば全部やってくれるよ。」

この一言はいろいろな疑念を呼び起こす。けれど一度、二度と仕事を任せてみると、その疑念はどこかへ捨てられてしまう。あまりにもうまく作ってくれるからだ。

それからは報告書でもメールでもAIに任せ、人は成果物を運ぶ役割だけを担うようになる。

成果物を運ぶだけのときに生まれる不協和音

ここで不協和音が生まれ始める。

  • 読まれない報告書が届けられる。
  • 別々の話が因果関係でつながっている。
  • もっともらしいのに、中身が抜けている。

こうした問題が、だんだん話題に上るようになった。「AIはまだ完璧じゃない」と言って、それではいけないと言う人もいる。

私はこれを、もう少し具体的に整理してみたい。

「仕事」というものは、人のために、人によって存在すると私は考えている。

誰も読まなかった .md ファイル

しばらくのあいだ、「.md」ファイルに熱狂した時代があった。(時代と言うには……数か月だけれど。)

AIが読みやすい文書なので、AIと仕事をするうえで必須の形式だと見なされていた。けれどすぐに「?」がついてきた。人が読まないという問題だ。

(私自身も、mdファイルは最初の数行を読んで「よく書けているだろう」と流してしまう。読むにはあまりにも大きな労力が要る。)

そこで、mdファイルではなく、人が読める形で成果物を出す方法についての議論が続いた。

生成物は人にとって有効でなければならない

AIが生み出したものをAIが読み、AIが使うのなら、おそらく何の問題もないだろう。

しかし私たちは、人がよりよく生きられる世界のために働いている。そうして作られた生成物は、人にとって有効でなければならない。

AIが作る生成物の多くは、AIにとって最も理解しやすい方向を向いている。(当然だ。人間ではないが、人間のように考えようとしているのだから。)

だから問題を起こさないためには、私たちは観察し続け、監督し続けなければならない。それが人のための生成物なのかを見極められなければならない。

最初の一、二回がなぜうまくいったのかと問われれば、私は、あとで捨ててしまったあの**「疑念」**のおかげだったと思う。